池本克之です。
「会社がモチベーションを上げてくれない」
と口にする人がいる。
しかし、私は常にこう伝えている。
モチベーションとは
自分の責任で上げるものであって、
会社や上司が与えるものではない。
そもそも、他人の感情を
コントロールすることは不可能だからだ。
2026年現在、
リモートワークやフレックス制の普及により、
働く個人の裁量は過去になく広がっている。
自由度が増す一方で、
「自分でやる気をつくる力」がない人は、
何をしても成果が出づらい。
どれだけ環境を整えても、
最後に動くのは自分自身だからである。
もちろん、会社側にも
「働きやすい環境を整える責任」はある。
だがそれは、社員のモチベーションを
”保証”することではない。
会社は土台をつくるだけであり、
その土台の上でどう自分を動かすかは、
完全に個人の選択である。
では、自分でモチベーションを
上げるとはどういうことか。
私が提案しているのは、
「自分の“意味づけ力”を鍛えること」である。
目の前の仕事に対して、
「これは誰の役に立っているか?」
「なぜ自分がやるべきなのか?」と
問いを立てることで、
ただの業務が“使命”に変わっていく。
人は、自分のやっていることに
意味を感じたとき、
自然と動けるようになる。
他人からの評価や報酬がなくても、
自分の中に火を灯す力が湧いてくる。
それが、真のモチベーションである。
「モチベーションが上がらない」
と言う前に、
「自分はどんな意味を見出しているか?」と
自分に問いかけてみてほしい。
答えを外に求めるのではなく、
自分の内側に見つけることが、
社会人としての成長につながる。
私は経営者として、
何百人もの社員と向き合ってきたが、
成果を出す人に共通しているのは、
「自分のスイッチは自分で押す」と
いう姿勢である。
モチベーションは、
与えられるものではない。
自分でつくるものだ。
月別: 2026年2月
なんでも言える職場の勘違い
池本克之です。
なんでも言える職場は、
心理的安全性が高い。
近年、この言葉を
よく耳にするようになった。
だが「なんでも言える」という言葉ほど、
誤解されやすいものはないとも感じている。
心理的安全性とは、
言いたい放題できることではない。
不満をぶつければいい環境でもなければ、
責任のない発言が許される場でもない。
本来の意味は
「意見や提案をしても、
人格を否定されない」
「失敗を正直に報告しても、
即座に排除されない」
そうした安心感がある状態のことだ。
では、どうすればそれをつくれるのか。
答えはシンプルだが、簡単ではない。
まず一つ目は、
社長や上司が最初の反応を
間違えないことだ。
部下が勇気を出して意見を言ったとき、
「それは違う」
「前も言っただろ」
「だからダメなんだ」
こうした言葉を無意識に返してしまうと、
次から誰も口を開かなくなる。
内容が的外れであっても、
まずは「そう考えた背景」を聞く。
この姿勢があるかどうかで、
空気は大きく変わる。
二つ目は、
「言っても何も変わらない」
という諦めを放置しないことだ。
意見箱を置いた、
面談をした、
ヒアリングもした。
それでも何も変わらなければ、
社員は学習する。
どうせ言っても無駄だ、と。
すべてを採用する必要はない。
だが、何を受け取り、
何を採用しなかったのか、
その理由を伝える責任は会社側にある。
三つ目は、
ミスの扱い方である。
心理的安全性が低い職場では、
ミスは隠される。
怒られる、
評価が下がる、
居場所がなくなる。
そう思えば、人は正直になれない。
だからこそ、
ミスを報告した行為そのものと、
ミスの内容は分けて扱う必要がある。
報告したことは評価する。
やってはいけないことは、
きちんと指導する。
この線引きを曖昧にしないことが重要だ。
そして最後に、
最も大事なのは
「言う側の責任」も明確にすることだ。
なんでも言える職場とは、
なんでも許される職場ではない。
言葉には影響力があり、
組織を動かす力がある。
だからこそ、
感情のままではなく、
目的を持って発言する姿勢を
育てる必要がある。
会社は学校ではない。
大人として、
社会人としての前提は欠かせない。
心理的安全性は、
制度で一気につくれるものではない。
日々のやりとり、
表情、
言葉の選び方、
判断の積み重ねでしか育たない。
時間はかかるし、根気もいる。
だが、これを避けて通れる組織はない。
なんでも言える職場とは、
甘い場所ではない。
互いに敬意を持ち、
責任を引き受ける覚悟がある場所だ。
私はそう考えている。
なんでも言える職場は、
心理的安全性が高い。
近年、この言葉を
よく耳にするようになった。
だが「なんでも言える」という言葉ほど、
誤解されやすいものはないとも感じている。
心理的安全性とは、
言いたい放題できることではない。
不満をぶつければいい環境でもなければ、
責任のない発言が許される場でもない。
本来の意味は
「意見や提案をしても、
人格を否定されない」
「失敗を正直に報告しても、
即座に排除されない」
そうした安心感がある状態のことだ。
では、どうすればそれをつくれるのか。
答えはシンプルだが、簡単ではない。
まず一つ目は、
社長や上司が最初の反応を
間違えないことだ。
部下が勇気を出して意見を言ったとき、
「それは違う」
「前も言っただろ」
「だからダメなんだ」
こうした言葉を無意識に返してしまうと、
次から誰も口を開かなくなる。
内容が的外れであっても、
まずは「そう考えた背景」を聞く。
この姿勢があるかどうかで、
空気は大きく変わる。
二つ目は、
「言っても何も変わらない」
という諦めを放置しないことだ。
意見箱を置いた、
面談をした、
ヒアリングもした。
それでも何も変わらなければ、
社員は学習する。
どうせ言っても無駄だ、と。
すべてを採用する必要はない。
だが、何を受け取り、
何を採用しなかったのか、
その理由を伝える責任は会社側にある。
三つ目は、
ミスの扱い方である。
心理的安全性が低い職場では、
ミスは隠される。
怒られる、
評価が下がる、
居場所がなくなる。
そう思えば、人は正直になれない。
だからこそ、
ミスを報告した行為そのものと、
ミスの内容は分けて扱う必要がある。
報告したことは評価する。
やってはいけないことは、
きちんと指導する。
この線引きを曖昧にしないことが重要だ。
そして最後に、
最も大事なのは
「言う側の責任」も明確にすることだ。
なんでも言える職場とは、
なんでも許される職場ではない。
言葉には影響力があり、
組織を動かす力がある。
だからこそ、
感情のままではなく、
目的を持って発言する姿勢を
育てる必要がある。
会社は学校ではない。
大人として、
社会人としての前提は欠かせない。
心理的安全性は、
制度で一気につくれるものではない。
日々のやりとり、
表情、
言葉の選び方、
判断の積み重ねでしか育たない。
時間はかかるし、根気もいる。
だが、これを避けて通れる組織はない。
なんでも言える職場とは、
甘い場所ではない。
互いに敬意を持ち、
責任を引き受ける覚悟がある場所だ。
私はそう考えている。
任せる相手を間違えるとこうなる
池本克之です。
管理職として日々現場を指揮する中で、
「成果を出せない部下を
どう扱えばいいのか…」
という悩みを抱えている人は
非常に多い。
気持ちはよくわかる。
部下が成長しないと、
自分がフォローに回らなければならない。
上司としての評価にも響くだろうし、
何よりチームの成果が伸びない。
しかし、ここで一度
立ち止まって考えてみてほしい。
そもそもその仕事を任せる
“相手”が間違っていたのではないか?
「誰に何を任せるか」という判断は、
管理職の最重要任務のひとつである。
その見極めを誤ると、
時間・労力・教育コストすべてが
無駄になってしまう。
とくに、今の若者は
「無理してがんばる」と
いう美学をあまり持っていない。
できそうになければ、すぐにあきらめる。
そして、それを悪いことだとも
思っていない。
それなのに、
「何度でも教えれば、
そのうちできるようになるだろう」
「辛抱強く指導すれば、報われるはずだ」
と期待してしまうと、
管理職自身が疲弊する結果になる。
実際「時間をかけて教えたのに、
途中で『やめます』」という若手も少なくない。
これは、感情論ではなく、
いまの世代の傾向として
認識しておくべきである。
だからこそ、
何度も教えなければならない業務は任せず、
1〜2回の指導で形になる仕事だけを
任せるという判断も必要である。
部下の成長を信じることは大切だが、
無理な期待を続けることが、
逆に組織の成長を妨げることもある。
その期待が外れたとき、
管理職自身のストレスは増し、
人間関係にも悪影響を及ぼしかねない。
2026年のビジネス環境は、
変化とスピードが求められる。
その中で、
“いつかできるようになる”を待つ余裕は
なくなってきている。
会社を前に進めるためには、
「育成」の前に「配置」の
最適化を考えたほうがいい。
その結果、
・ストレスは減る
・育成効率は上がる
・離職も減る
・そして、業績も上がる
「教えてもできない」
「何度言っても覚えない」
そんな悩みを感じているなら、
まずは、“その仕事を任せる相手”が
正しかったかを見直してみてほしい。
それが、管理職のあなたを守り、
チームを成長させる近道となるはずである。
管理職として日々現場を指揮する中で、
「成果を出せない部下を
どう扱えばいいのか…」
という悩みを抱えている人は
非常に多い。
気持ちはよくわかる。
部下が成長しないと、
自分がフォローに回らなければならない。
上司としての評価にも響くだろうし、
何よりチームの成果が伸びない。
しかし、ここで一度
立ち止まって考えてみてほしい。
そもそもその仕事を任せる
“相手”が間違っていたのではないか?
「誰に何を任せるか」という判断は、
管理職の最重要任務のひとつである。
その見極めを誤ると、
時間・労力・教育コストすべてが
無駄になってしまう。
とくに、今の若者は
「無理してがんばる」と
いう美学をあまり持っていない。
できそうになければ、すぐにあきらめる。
そして、それを悪いことだとも
思っていない。
それなのに、
「何度でも教えれば、
そのうちできるようになるだろう」
「辛抱強く指導すれば、報われるはずだ」
と期待してしまうと、
管理職自身が疲弊する結果になる。
実際「時間をかけて教えたのに、
途中で『やめます』」という若手も少なくない。
これは、感情論ではなく、
いまの世代の傾向として
認識しておくべきである。
だからこそ、
何度も教えなければならない業務は任せず、
1〜2回の指導で形になる仕事だけを
任せるという判断も必要である。
部下の成長を信じることは大切だが、
無理な期待を続けることが、
逆に組織の成長を妨げることもある。
その期待が外れたとき、
管理職自身のストレスは増し、
人間関係にも悪影響を及ぼしかねない。
2026年のビジネス環境は、
変化とスピードが求められる。
その中で、
“いつかできるようになる”を待つ余裕は
なくなってきている。
会社を前に進めるためには、
「育成」の前に「配置」の
最適化を考えたほうがいい。
その結果、
・ストレスは減る
・育成効率は上がる
・離職も減る
・そして、業績も上がる
「教えてもできない」
「何度言っても覚えない」
そんな悩みを感じているなら、
まずは、“その仕事を任せる相手”が
正しかったかを見直してみてほしい。
それが、管理職のあなたを守り、
チームを成長させる近道となるはずである。
失敗なしに成長した人はいない
池本克之です。
社員を信じて任せる。
言葉にすると簡単だが、
実際にできている社長や上司は
驚くほど少ない。
「失敗されたら困る」
「まだ早い」
「任せるには不安だ」
そう言いながら、
結局すべてを自分で判断し、
自分で指示し、
自分で修正する。
それは慎重なのではない。
単なる不信である。
社員を育てたいと言いながら、
失敗を許さない社長がいる。
任せるよ、と口で言いながら
やはり不安が勝ってしまい、任せない上司がいる。
これは矛盾だ。
失敗なしに成長した人間など存在しない。
私の著書でも書いているが、
”人は「任された経験」でしか大きくならない”
任せられたときに、
人は初めて本気になる。
責任を背負い、
考え、悩み、判断するようになる。
もちろん、間違いは起きる。
失敗もする。
だが、それでいい。
少しくらいの失敗は、授業料である。
問題なのは、
失敗そのものではない。
失敗から何も学ばせず、
次に活かす構造をつくらないことだ。
任せるとは、
放置することではない。
丸投げでもない。
・判断基準を伝える
・責任範囲を明確にする
・失敗したときは一緒に振り返る
・次の打ち手を考えさせる
ここまでやって、
初めて「任せている」と言える。
任せられない社長の会社では、
社員は指示待ちになる。
判断しなくなる。
考えなくなる。
そして最後に社長は言う。
「うちの社員は主体性がない」
違う。
主体性を奪ってきたのは、
社長や上司自身である。
強い組織ほど、
社長は細かいことを見ていない。
その代わり、
大事な判断基準だけは徹底的に共有している。
だから現場は、
多少間違っても自分で動ける。
自分で修正できる。
この積み重ねが、
組織の地力になる。
社長の仕事は、
失敗をゼロにすることではない。
失敗しても立ち直れる、
人材と構造をつくることである。
社員を信じて任せる覚悟がない限り、
社長はいつまでも忙しいままだ。
そして会社は、
社長の器以上にはならない。
少しくらい間違ってもいい。
その代わり、
二度目は必ず成長させる。
この覚悟を持てる社長の会社だけが、
本当の意味で強くなる。
PS
もしあなたが、組織の価値観を統一し、自由な時間を手に入れると同時に、ストレスも軽減させたいのなら…
こちらが役に立ちます。
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社員を信じて任せる。
言葉にすると簡単だが、
実際にできている社長や上司は
驚くほど少ない。
「失敗されたら困る」
「まだ早い」
「任せるには不安だ」
そう言いながら、
結局すべてを自分で判断し、
自分で指示し、
自分で修正する。
それは慎重なのではない。
単なる不信である。
社員を育てたいと言いながら、
失敗を許さない社長がいる。
任せるよ、と口で言いながら
やはり不安が勝ってしまい、任せない上司がいる。
これは矛盾だ。
失敗なしに成長した人間など存在しない。
私の著書でも書いているが、
”人は「任された経験」でしか大きくならない”
任せられたときに、
人は初めて本気になる。
責任を背負い、
考え、悩み、判断するようになる。
もちろん、間違いは起きる。
失敗もする。
だが、それでいい。
少しくらいの失敗は、授業料である。
問題なのは、
失敗そのものではない。
失敗から何も学ばせず、
次に活かす構造をつくらないことだ。
任せるとは、
放置することではない。
丸投げでもない。
・判断基準を伝える
・責任範囲を明確にする
・失敗したときは一緒に振り返る
・次の打ち手を考えさせる
ここまでやって、
初めて「任せている」と言える。
任せられない社長の会社では、
社員は指示待ちになる。
判断しなくなる。
考えなくなる。
そして最後に社長は言う。
「うちの社員は主体性がない」
違う。
主体性を奪ってきたのは、
社長や上司自身である。
強い組織ほど、
社長は細かいことを見ていない。
その代わり、
大事な判断基準だけは徹底的に共有している。
だから現場は、
多少間違っても自分で動ける。
自分で修正できる。
この積み重ねが、
組織の地力になる。
社長の仕事は、
失敗をゼロにすることではない。
失敗しても立ち直れる、
人材と構造をつくることである。
社員を信じて任せる覚悟がない限り、
社長はいつまでも忙しいままだ。
そして会社は、
社長の器以上にはならない。
少しくらい間違ってもいい。
その代わり、
二度目は必ず成長させる。
この覚悟を持てる社長の会社だけが、
本当の意味で強くなる。
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もしあなたが、組織の価値観を統一し、自由な時間を手に入れると同時に、ストレスも軽減させたいのなら…
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数字で語れない幹部はいらない
池本克之です。
組織が静かに腐っていく原因は、
売上不振でも、人手不足でもない。
多くの場合、その中心にいるのは
数字を見ない幹部である。
数字を見ない幹部は、
現場の空気で判断する。
感覚で語り、印象で評価し、
「頑張っている」
「忙しそうだ」
こうした言葉を多用する。
しかし、経営において
頑張っているかどうかは評価軸ではない。
結果が出ているかどうか、
KPIを達成しているかどうか、
それだけが事実である。
数字を見ない幹部が一人でもいると、
組織には必ず歪みが生まれる。
数字で評価される社員と、
感情で守られる社員が混在するからである。
この状態を、現場は正確に見ている。
誰が数字を作っていて、
誰が作っていないのか。
誰が評価され、
誰が見逃されているのか。
数字を出している人間ほど、
この歪みに敏感である。
そして黙る。
やがて離れるか、気持ちが折れてしまう。
こうして組織は中から崩れていくのだ。
幹部の役割は、
部下をかばうことではない。
数字で現実を直視させ、
次の打ち手を示すことである。
KPIを見ない幹部は、
問題を先送りをし、説明が曖昧になる。
「もう少し様子を見よう」
この言葉が増えたら、危険信号である。
強い会社の幹部は違う。
数字を毎月確認し、
未達であれば原因を分解し、
具体的な行動に落とす。
感情は後なのである。
では、社長は数字を見ない幹部・上司に
どう対応すべきか。
答えは明確である。
厳しいようだが、
教えるか、外すか、である。
まずは判断軸を示す。
見るべき数字を限定する。
売上、粗利、KPI
それ以外の話は、判断材料にしない。
次に、
数字で説明させる場をつくる。
感想は禁止である。
言葉が数字に戻らない幹部は、
すでに基準に立てていない。
それでも変わらない場合、
役割を下げるか、外すしかない。
情で残すことは、
会社全体への裏切りである。
幹部を守るために、
社員を失ってはいけない。
過去の貢献と、
現在の役割は別物として考え、
社長は判断しなくてはいけない。
数字から逃げる幹部に、
組織を預けてはならない。
それは、
腐食を放置するのと同じである。
社長の覚悟が、
幹部の姿勢を決める。
判断軸を守れるかどうか。
それが、
会社が強くなるか腐るかの分かれ道である。
組織が静かに腐っていく原因は、
売上不振でも、人手不足でもない。
多くの場合、その中心にいるのは
数字を見ない幹部である。
数字を見ない幹部は、
現場の空気で判断する。
感覚で語り、印象で評価し、
「頑張っている」
「忙しそうだ」
こうした言葉を多用する。
しかし、経営において
頑張っているかどうかは評価軸ではない。
結果が出ているかどうか、
KPIを達成しているかどうか、
それだけが事実である。
数字を見ない幹部が一人でもいると、
組織には必ず歪みが生まれる。
数字で評価される社員と、
感情で守られる社員が混在するからである。
この状態を、現場は正確に見ている。
誰が数字を作っていて、
誰が作っていないのか。
誰が評価され、
誰が見逃されているのか。
数字を出している人間ほど、
この歪みに敏感である。
そして黙る。
やがて離れるか、気持ちが折れてしまう。
こうして組織は中から崩れていくのだ。
幹部の役割は、
部下をかばうことではない。
数字で現実を直視させ、
次の打ち手を示すことである。
KPIを見ない幹部は、
問題を先送りをし、説明が曖昧になる。
「もう少し様子を見よう」
この言葉が増えたら、危険信号である。
強い会社の幹部は違う。
数字を毎月確認し、
未達であれば原因を分解し、
具体的な行動に落とす。
感情は後なのである。
では、社長は数字を見ない幹部・上司に
どう対応すべきか。
答えは明確である。
厳しいようだが、
教えるか、外すか、である。
まずは判断軸を示す。
見るべき数字を限定する。
売上、粗利、KPI
それ以外の話は、判断材料にしない。
次に、
数字で説明させる場をつくる。
感想は禁止である。
言葉が数字に戻らない幹部は、
すでに基準に立てていない。
それでも変わらない場合、
役割を下げるか、外すしかない。
情で残すことは、
会社全体への裏切りである。
幹部を守るために、
社員を失ってはいけない。
過去の貢献と、
現在の役割は別物として考え、
社長は判断しなくてはいけない。
数字から逃げる幹部に、
組織を預けてはならない。
それは、
腐食を放置するのと同じである。
社長の覚悟が、
幹部の姿勢を決める。
判断軸を守れるかどうか。
それが、
会社が強くなるか腐るかの分かれ道である。
α世代との向き合い方
池本克之です。
今の10代、20代をα世代と呼ぶ。
先日、そのα世代についての話を聞いていて、
正直、大丈夫か?と思った。
彼らは「待つこと」が極端に苦手だという。
待ち時間は苦痛。
結果がすぐ出ないのは耐えられない。
レストランも、注文してすぐ出てくる、
検索してもすぐに出てくる答え、
時間をかけることに意味を感じられず、
食事はマクドナルド型の
簡単な且つ、食べなれたメニューがいいらしい。
私はこれはかなり危険な兆候だと
思っている。
なぜなら、
成長とは「待つ力」で
できているからだ。
仕事でも、人生でも、
努力してすぐに成果が出ることなど、
ほとんどないのだ。
むしろ、
・報われない時間
・結果が見えない期間
・意味があるのかわからない努力
こうした「待ちの時間」をどう過ごすかで、
人の器は決まる。
私の著書でも書いているが、
『人が伸びるのは、
負荷と時間をかけたときだけである』
ショートカットは存在しない。
にもかかわらず、
α世代はその前提そのものを
受け入れられなくなっている。
これは彼らが悪いのではない。
環境がそう育ててしまったのだ。
動画は倍速で閲覧し、
答えは検索すれば即出てくるものをよしとし、
それが合っているかどうかの疑問を持たずに
それを回答としてしまう。
数分待たされるくらいなら、別を選ぶ。
我慢しなくても、次がある、というわけだ。
この環境で育てば、
「時間をかけること=無駄」
という感覚になるのも無理はない。
だが、社会はそんなに甘くない。
ビジネスはもちろんのこと、
研究や勉学の世界においても、
すぐに成果が出ないことは、当たり前で、
そんなことの連続である。
人材育成も、
信頼構築も、
事業の立ち上げも、
すべて時間がかかる。
ここを理解できない人間が増えると、
どうなるのか?
・すぐ辞める
・すぐ結果を求める
・プロセスを軽視する
・地道な仕事を嫌がる
・耐久力のない組織が増える
これは個人の問題ではなく、
社会全体の基礎体力が落ちる兆候である。
企業経営の現場でも、
「若手が我慢しない」
「すぐ答えを欲しがる」
という声をよく聞く。
だが、ここで迎合してはいけない。
スピードを上げる工夫と、
耐える力を育てることは、別物だ。
待てない世代に合わせて、
すべてを簡略化し、
すべてを即答し、
すべてを短期化した組織は、
確実に弱くなる。
待つ力を育てられない組織に
未来はないといえる。
α世代と向き合ううえで、
経営者や上司がやるべきことは一つだ。
「なぜ待つ必要があるのか」を
言語化して、構造で示すこと。
意味のない待ち時間は排除すればいい。
だが、意味のあるプロセスまで
削ってはいけない。
時間をかける価値がある仕事とは何か。
簡単に答えが出ない問いに
どう向き合うのか。
それを教えられない大人が増えれば、
社会は確実に薄っぺらくなる。
便利さの裏側で、
人間の耐久力が削られている。
その危険性に気づいている大人が、
今、どれだけいるだろうか。
待てない世代を嘆く前に、
待つ意味を示せているか。
そこが、問われている。
今の10代、20代をα世代と呼ぶ。
先日、そのα世代についての話を聞いていて、
正直、大丈夫か?と思った。
彼らは「待つこと」が極端に苦手だという。
待ち時間は苦痛。
結果がすぐ出ないのは耐えられない。
レストランも、注文してすぐ出てくる、
検索してもすぐに出てくる答え、
時間をかけることに意味を感じられず、
食事はマクドナルド型の
簡単な且つ、食べなれたメニューがいいらしい。
私はこれはかなり危険な兆候だと
思っている。
なぜなら、
成長とは「待つ力」で
できているからだ。
仕事でも、人生でも、
努力してすぐに成果が出ることなど、
ほとんどないのだ。
むしろ、
・報われない時間
・結果が見えない期間
・意味があるのかわからない努力
こうした「待ちの時間」をどう過ごすかで、
人の器は決まる。
私の著書でも書いているが、
『人が伸びるのは、
負荷と時間をかけたときだけである』
ショートカットは存在しない。
にもかかわらず、
α世代はその前提そのものを
受け入れられなくなっている。
これは彼らが悪いのではない。
環境がそう育ててしまったのだ。
動画は倍速で閲覧し、
答えは検索すれば即出てくるものをよしとし、
それが合っているかどうかの疑問を持たずに
それを回答としてしまう。
数分待たされるくらいなら、別を選ぶ。
我慢しなくても、次がある、というわけだ。
この環境で育てば、
「時間をかけること=無駄」
という感覚になるのも無理はない。
だが、社会はそんなに甘くない。
ビジネスはもちろんのこと、
研究や勉学の世界においても、
すぐに成果が出ないことは、当たり前で、
そんなことの連続である。
人材育成も、
信頼構築も、
事業の立ち上げも、
すべて時間がかかる。
ここを理解できない人間が増えると、
どうなるのか?
・すぐ辞める
・すぐ結果を求める
・プロセスを軽視する
・地道な仕事を嫌がる
・耐久力のない組織が増える
これは個人の問題ではなく、
社会全体の基礎体力が落ちる兆候である。
企業経営の現場でも、
「若手が我慢しない」
「すぐ答えを欲しがる」
という声をよく聞く。
だが、ここで迎合してはいけない。
スピードを上げる工夫と、
耐える力を育てることは、別物だ。
待てない世代に合わせて、
すべてを簡略化し、
すべてを即答し、
すべてを短期化した組織は、
確実に弱くなる。
待つ力を育てられない組織に
未来はないといえる。
α世代と向き合ううえで、
経営者や上司がやるべきことは一つだ。
「なぜ待つ必要があるのか」を
言語化して、構造で示すこと。
意味のない待ち時間は排除すればいい。
だが、意味のあるプロセスまで
削ってはいけない。
時間をかける価値がある仕事とは何か。
簡単に答えが出ない問いに
どう向き合うのか。
それを教えられない大人が増えれば、
社会は確実に薄っぺらくなる。
便利さの裏側で、
人間の耐久力が削られている。
その危険性に気づいている大人が、
今、どれだけいるだろうか。
待てない世代を嘆く前に、
待つ意味を示せているか。
そこが、問われている。
社長の時間は「設計」するものである
池本克之です。
1週間のスケジュールを見返しながら、
ふと気づく。
やりたいことより、
やらねばならないことで
埋め尽くされていないかと。
社長業とは不思議なものである。
自由に見えて不自由。
自分の裁量で動けるようでいて、
実際は社員や顧客、外部との予定に
がんじがらめであることも多い。
社長は時間に追われてはいけない。
時間を設計する側に立つことが重要、と
考えている。
これは著書の中でも記しており、
忙しい社長ほど、
「誰がやるか」にばかり目を向けて、
「何をやらないか」の決断が甘い。
まずやるべきは「手放すこと」である。
全部自分でやる必要はないし、
やるべきでもない。
報告会議、
確認作業、
現場のチェック、
経費の精査など、
どれも社長でなくても回るはずのものが、
驚くほどあるものだ。
「時間がない」という社長に限って、
スケジュールがぎっしりである。
だが、ぎっしり詰まったスケジュールは
“仕事している感”を満たすかもしれないが、
「会社を前進させている感」には
つながらない。
だからこそ、
週に一度は「空白の時間」を先に
予定に入れてしまうことが大事だ。
その時間は、何もしない。
考える、
整える、
立ち止まる。
これで、社長の思考も静かに深まる。
時間を「管理する」のではなく、
「育てる」感覚に近い。
10分、15分という隙間時間を大事にする。
会議の終了を10分早める工夫をする。
それだけで一日に30分は生まれる。
社長の仕事は、未来を描くことである。
目の前の対応業務に追われるのではなく、
「社長としてしかできない仕事」に
向き合うには、
まず時間を自ら設計することから
始めるべきである。
それが会社にとって、
最も効果的な時間投資となる。
1週間のスケジュールを見返しながら、
ふと気づく。
やりたいことより、
やらねばならないことで
埋め尽くされていないかと。
社長業とは不思議なものである。
自由に見えて不自由。
自分の裁量で動けるようでいて、
実際は社員や顧客、外部との予定に
がんじがらめであることも多い。
社長は時間に追われてはいけない。
時間を設計する側に立つことが重要、と
考えている。
これは著書の中でも記しており、
忙しい社長ほど、
「誰がやるか」にばかり目を向けて、
「何をやらないか」の決断が甘い。
まずやるべきは「手放すこと」である。
全部自分でやる必要はないし、
やるべきでもない。
報告会議、
確認作業、
現場のチェック、
経費の精査など、
どれも社長でなくても回るはずのものが、
驚くほどあるものだ。
「時間がない」という社長に限って、
スケジュールがぎっしりである。
だが、ぎっしり詰まったスケジュールは
“仕事している感”を満たすかもしれないが、
「会社を前進させている感」には
つながらない。
だからこそ、
週に一度は「空白の時間」を先に
予定に入れてしまうことが大事だ。
その時間は、何もしない。
考える、
整える、
立ち止まる。
これで、社長の思考も静かに深まる。
時間を「管理する」のではなく、
「育てる」感覚に近い。
10分、15分という隙間時間を大事にする。
会議の終了を10分早める工夫をする。
それだけで一日に30分は生まれる。
社長の仕事は、未来を描くことである。
目の前の対応業務に追われるのではなく、
「社長としてしかできない仕事」に
向き合うには、
まず時間を自ら設計することから
始めるべきである。
それが会社にとって、
最も効果的な時間投資となる。
適材適所は“感覚”ではなく“データ”で決める時代
池本克之です。
経営者として、最も頭を悩ませることの一つが、
「人をどこに配置するか」という人事判断である。
能力がある人材でも、
配置が合っていなければ力は発揮されない。
逆に、そこまで突出したスキルがなくても、
適正な場所にいれば成果を出す人もいる。
これが、適材適所の難しさである。
とはいえ、これまでは「上司の勘」や「印象」
あるいは「今の業務都合」で
人事配置が決められるケースが多かった。
だが私は、
そのやり方には限界があると考えている。
なぜなら、
人の適性は“見た目”ではわからないからである。
実際、私が人事に関して、
面接時でも使用しているのが、
「ESP診断」というWEB適性診断である。
この診断では、個人の性格傾向や行動特性、
ストレス耐性、リーダーシップの傾向まで、
科学的に可視化される。
たとえば、
「外向的で現場向き」と思われていた人が、
実は細部を重視する思考型で、
管理業務の方が適していた、という例もある。
このような“ズレ”は、
本人にも気づかれていないことが多く、
診断という「客観的データ」が、
配置の判断軸になる。
企業が成長するためには、
「正しい人を、正しいポジションに置く」
というシンプルかつ重要な原則を
徹底する必要がある。
ESP診断の利点は、
ただの「適性分析」ではなく、
「今の組織において、どの役割が合うか」
という視点で配置を再設計できることだ。
今、企業はさらに
スピードと柔軟性が求められる。
その中で、属人的な人事配置は、
組織の進化を止める要因になり得る。
人材の能力を活かすか殺すかは、
経営者の「見る目」にかかっている。
だが、その“目”を鍛えるには、
診断というツールを活用するのが賢明である。
私は今、あらゆる企業に対して、
ESP診断を組み込んだ
人事判断を導入している。
人事に迷ったときは、感覚ではなく、
“見える情報”で見極めるべきである。
それが、これからの時代の適材適所である。
PS
会社を伸ばしていくために、常に挑戦し続けている社長に待ち受ける経営課題は何なのか?
ぜひこちらをチェックしてください。
↓
https://pajaposs.com/campaign/stktai0728_mm/
経営者として、最も頭を悩ませることの一つが、
「人をどこに配置するか」という人事判断である。
能力がある人材でも、
配置が合っていなければ力は発揮されない。
逆に、そこまで突出したスキルがなくても、
適正な場所にいれば成果を出す人もいる。
これが、適材適所の難しさである。
とはいえ、これまでは「上司の勘」や「印象」
あるいは「今の業務都合」で
人事配置が決められるケースが多かった。
だが私は、
そのやり方には限界があると考えている。
なぜなら、
人の適性は“見た目”ではわからないからである。
実際、私が人事に関して、
面接時でも使用しているのが、
「ESP診断」というWEB適性診断である。
この診断では、個人の性格傾向や行動特性、
ストレス耐性、リーダーシップの傾向まで、
科学的に可視化される。
たとえば、
「外向的で現場向き」と思われていた人が、
実は細部を重視する思考型で、
管理業務の方が適していた、という例もある。
このような“ズレ”は、
本人にも気づかれていないことが多く、
診断という「客観的データ」が、
配置の判断軸になる。
企業が成長するためには、
「正しい人を、正しいポジションに置く」
というシンプルかつ重要な原則を
徹底する必要がある。
ESP診断の利点は、
ただの「適性分析」ではなく、
「今の組織において、どの役割が合うか」
という視点で配置を再設計できることだ。
今、企業はさらに
スピードと柔軟性が求められる。
その中で、属人的な人事配置は、
組織の進化を止める要因になり得る。
人材の能力を活かすか殺すかは、
経営者の「見る目」にかかっている。
だが、その“目”を鍛えるには、
診断というツールを活用するのが賢明である。
私は今、あらゆる企業に対して、
ESP診断を組み込んだ
人事判断を導入している。
人事に迷ったときは、感覚ではなく、
“見える情報”で見極めるべきである。
それが、これからの時代の適材適所である。
PS
会社を伸ばしていくために、常に挑戦し続けている社長に待ち受ける経営課題は何なのか?
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採用に自信が持てない社長へ
池本克之です。
最近、クライアントの話をきいていると、
こんな言葉をよく耳にする。
「採用が苦手だ…」
「どうも、人を見る目に自信がなくて」
「結局、何をみて「いい人」と
決定するんだろうか」
実際、2026年現在、
人材の採用は、企業経営の中で
最も難しいテーマのひとつになっている。
人手不足は加速し、
応募数も限られた中で、
どう “当たり” を引くか。
そんなプレッシャーを
社長自身が抱えているのが現実だ。
ただ「人を見る目」だけで
採用を判断している限り、
うまくいかないと
私は思っている。
なぜなら、採用は
「目利き」よりも「設計」で決まるからだ。
たとえば、
どんな人材を採りたいのかが曖昧だったり、
入社後にどんな成長ストーリーを描くのかが
決まっていなかったりすると、
面接でどんなに「いい人」に見えても、
結局ミスマッチが起きる。
だからまず必要なのは、
「自社に合う人材はどんな人か」を
言語化することだ。
スキルよりも、価値観。
経験よりも、行動パターン。
履歴書よりも、仕事への向き合い方。
そして、採用したい人物像が明確になったら、
それを「どう伝えるか」にも工夫がいる。
多くの会社は、面接で“ジャッジ”しようとする。
でもそれよりも
「うちはこういう会社です」
「こんな価値観の人が合います」と、
自社のリアルを誠実に伝える場にすること。
その方が、
相手も正直に話してくれるし、
ミスマッチが減る。
採用に自信がない社長は、
人を見抜く“感覚”ではなく、
採用の“仕組み”を磨くべきなのだ。
「人を選ぶ」のではなく、
「人と出会える場をつくる」のが
社長の役割である。
出会いの質を変えれば、
採用の成果も必ず変わる。
まずは、どんな人と働きたいか?
どんなチームにしたいか?
紙に書き出してみることから
始めてみてほしい。
そこに、あなたの経営の
次の突破口があるかもしれない。
最近、クライアントの話をきいていると、
こんな言葉をよく耳にする。
「採用が苦手だ…」
「どうも、人を見る目に自信がなくて」
「結局、何をみて「いい人」と
決定するんだろうか」
実際、2026年現在、
人材の採用は、企業経営の中で
最も難しいテーマのひとつになっている。
人手不足は加速し、
応募数も限られた中で、
どう “当たり” を引くか。
そんなプレッシャーを
社長自身が抱えているのが現実だ。
ただ「人を見る目」だけで
採用を判断している限り、
うまくいかないと
私は思っている。
なぜなら、採用は
「目利き」よりも「設計」で決まるからだ。
たとえば、
どんな人材を採りたいのかが曖昧だったり、
入社後にどんな成長ストーリーを描くのかが
決まっていなかったりすると、
面接でどんなに「いい人」に見えても、
結局ミスマッチが起きる。
だからまず必要なのは、
「自社に合う人材はどんな人か」を
言語化することだ。
スキルよりも、価値観。
経験よりも、行動パターン。
履歴書よりも、仕事への向き合い方。
そして、採用したい人物像が明確になったら、
それを「どう伝えるか」にも工夫がいる。
多くの会社は、面接で“ジャッジ”しようとする。
でもそれよりも
「うちはこういう会社です」
「こんな価値観の人が合います」と、
自社のリアルを誠実に伝える場にすること。
その方が、
相手も正直に話してくれるし、
ミスマッチが減る。
採用に自信がない社長は、
人を見抜く“感覚”ではなく、
採用の“仕組み”を磨くべきなのだ。
「人を選ぶ」のではなく、
「人と出会える場をつくる」のが
社長の役割である。
出会いの質を変えれば、
採用の成果も必ず変わる。
まずは、どんな人と働きたいか?
どんなチームにしたいか?
紙に書き出してみることから
始めてみてほしい。
そこに、あなたの経営の
次の突破口があるかもしれない。
過去を振り返っても道は開けない
池本克之です。
「あのとき、ああしていれば——」
誰しも一度はそう思ったことがあるだろう。
私も失敗したり、
決断が裏目に出たりしたとき、
ついその言葉が頭をよぎる。
しかし私はいつも
できるだけ早く
その思考を止めるようにしている。
なぜなら、過去を振り返ることほど
未来のエネルギーを奪うものはないから。
経営者の時間は「過去」ではなく
「これから」にこそ使うべきだと思う。
過去の判断が間違っていたかどうかは、
結果論でしかない。
当時の情報と状況の中で、
自分なりに最善を尽くしたはずだ。
それ以上の答えはない。
振り返って悔やむことは、
自分を責めることにしかならない。
責めたところで会社が
前に進むわけでもない。
私もこれまでに
「もう少し待てばよかったか」
「早くやめるべきだった」
と思う場面がいくつもあった。
特に事業やサービスの状況での判断は
悔しさも感じる場面がある。
しかし、時間が経ってみれば
その判断があったから
次の道に進めたのだとわかる。
もし、過去を引きずっていたら、
新しいチャンスを逃していただろう。
経営はつねに「次をどうするか」である。
過去の後悔に足を取られていると、
判断が遅くなる。
気持ちが前に向かない。
社員は、社長の背中を見ている。
社長がいつまでも過去を気にしていたら、
組織全体が下を向いてしまう。
たとえ失敗しても、「次はこうしよう」と
未来を語る姿こそ、
リーダーに必要な姿勢だと思う。
過去を振り返らないというのは、
反省をしないという意味ではない。
反省は必要だが、後悔は不要だ。
反省は未来をつくるが、
後悔は未来を止める。
私が意識しているのは、
過去を材料にして未来の判断を磨くことだ。
つまり「あのときの経験を、
次にどう生かすか」だけを考える。
経営をしていると、
うまくいかないことは多い。
だからこそ
気持ちの切り替えが大事になる。
後ろを見ても道は開けない。
前を向いて一歩でも進むこと。
それが経営者の役割であり、
人生の姿勢でもある。
今日もまた
「あのとき」ではなく
「これから」を見つめて進んでいきたい。
「あのとき、ああしていれば——」
誰しも一度はそう思ったことがあるだろう。
私も失敗したり、
決断が裏目に出たりしたとき、
ついその言葉が頭をよぎる。
しかし私はいつも
できるだけ早く
その思考を止めるようにしている。
なぜなら、過去を振り返ることほど
未来のエネルギーを奪うものはないから。
経営者の時間は「過去」ではなく
「これから」にこそ使うべきだと思う。
過去の判断が間違っていたかどうかは、
結果論でしかない。
当時の情報と状況の中で、
自分なりに最善を尽くしたはずだ。
それ以上の答えはない。
振り返って悔やむことは、
自分を責めることにしかならない。
責めたところで会社が
前に進むわけでもない。
私もこれまでに
「もう少し待てばよかったか」
「早くやめるべきだった」
と思う場面がいくつもあった。
特に事業やサービスの状況での判断は
悔しさも感じる場面がある。
しかし、時間が経ってみれば
その判断があったから
次の道に進めたのだとわかる。
もし、過去を引きずっていたら、
新しいチャンスを逃していただろう。
経営はつねに「次をどうするか」である。
過去の後悔に足を取られていると、
判断が遅くなる。
気持ちが前に向かない。
社員は、社長の背中を見ている。
社長がいつまでも過去を気にしていたら、
組織全体が下を向いてしまう。
たとえ失敗しても、「次はこうしよう」と
未来を語る姿こそ、
リーダーに必要な姿勢だと思う。
過去を振り返らないというのは、
反省をしないという意味ではない。
反省は必要だが、後悔は不要だ。
反省は未来をつくるが、
後悔は未来を止める。
私が意識しているのは、
過去を材料にして未来の判断を磨くことだ。
つまり「あのときの経験を、
次にどう生かすか」だけを考える。
経営をしていると、
うまくいかないことは多い。
だからこそ
気持ちの切り替えが大事になる。
後ろを見ても道は開けない。
前を向いて一歩でも進むこと。
それが経営者の役割であり、
人生の姿勢でもある。
今日もまた
「あのとき」ではなく
「これから」を見つめて進んでいきたい。